
今年は終戦から80年。
戦争の記憶が風化していくなか、体験した人の「声」は貴重なものとなっています。
これは、「戦争の記憶」を次の時代へ繋いでいくプロジェクトです。
「ライブBBT」は、戦争を体験した人、その記憶を受け継ぐ人、
そうした人々の「声」を伝え続けていきます。
戦後80年の節目を迎えた今年、核廃絶を訴える「国民平和大行進」が富山県内でも行われた。
世界で初めて原爆が投下された広島と長崎を目指すこの行進に、被爆体験を語り継ぐ県内の被爆2世も加わり、平和への願いを新たにしている。
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2025年5月29日放送
戦後80年という節目を迎え、戦争の記憶を未来へ継承しようと奮闘する若者たちの姿がある。 富山大空襲の体験者の話に高校生が耳を傾け、平和について考える集会が富山市内で開かれた。
2025年5月22日放送
戦火を生き抜いた声楽家が94歳の今も歌い継ぐ平和への願い。富山空襲から80年、その記憶を音楽にのせて次世代へ伝えようとする男性がいる。「私はモグラと同じ生活をしていた」〜二度の空襲を生き抜いた94歳の声楽家。
2025年5月19日放送
80年前の8月、富山市の数時間前に新潟県長岡市がアメリカ軍の空襲を受けました。 戦後80年の今年、その長岡市で、富山大空襲の資料が展示されました。 隣県の市同士、互いに「戦争の記憶」を後世に伝えていく思いが込められています。
2025年5月13日放送
終戦直前、ソ連軍の捕虜となり、過酷な環境の中で労働を強いられた経験を持つ107歳の男性が南砺市にいます。 抑留の記憶が薄れゆく中、この80年、抱き続けたのは「過ちは、二度と繰り返されてはならない」、切な願いです。
2025年5月8日放送
戦後80年の今年、「戦争の記憶」を後世に語り継ぐ活動が各地で行われています。年々、戦争体験者が少なくなっていく中、「あの時」を伝え続ける人たち。富山大空襲を体験した90歳の男性が、いまも講演を続けています。
2025年5月7日放送
砺波市で開かれた「となみチューリップフェア」。その始まりには、戦後の食料がない中で、チューリップの栽培を続けた1人の青年の努力があったことをご存じでしょうか。戦後80年、今年その「秘話」を題材にした影絵劇が上演されました。
2025年4月24日放送
80年前、富山市街地が焼け野原になった大空襲。隣県、新潟県長岡市も富山市と同じ時期に空襲を受けました。その長岡市で来月、富山大空襲の資料が展示されます。富山市の本願寺富山別院。富山大空襲に関する資料が保管されています。
2025年4月23日放送
世界で唯一の被爆国、日本。去年、日本被団協、日本原水爆被害者団体協議会が、ノーベル平和賞を受賞したのを機に「核兵器廃絶」を訴える声が強まっています。この富山の地にも原爆の恐ろしさを伝え続ける女性がいます。
2025年4月15日放送
戦争を体験した人にしかわからない「戦争の悲惨さ」「平和の大切さ」体験した人の思いを語り継ぐ人たち。戦後80年の今年、日本の敗戦の意味を考える書籍を出版したグループが、15日、出版発表会を開き、執筆に込めた思いを語りました。
2025年4月8日放送
初回は、80年前に富山大空襲を体験したひとりの男性と孫の高校生、2人の「思い」を伝えます。今月3日。高岡市内に高校生が集まっていました。グループ「輪音」。県内4つの高校に通う2・3年生9人が、「戦争の記憶」の継承に取り組んでいます。