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有地「今回は浅田次郎さんの小説の映画化ということで、監督ご自身もファンでいらっしゃるんですよね。この撮影にどんな思いで臨まれましたか?」
佐々部監督「ほんとに助監督のころから浅田先生のファンだったんで、いつか浅田先生の本で監督できることがあればいいなと夢みたいなことを思い浮かべていました。助監督の最後のころに「鉄道員」と言う高倉健さん主演で、原作が浅田先生の助監督をやって、ちょっと10年ちょっとになるのかな!?映画がこれちょうど10本目で、オファーを受けて浅田先生の原作をやれるってなったんで、もうなんか中身よりも何よりもとにかく嬉しかったんですね。」
有地「この小説を映像化する上で、何かこだわった点などはありますか?」
佐々部監督「これは浅田先生の小説に限らずなんですが、小説を映像化する時には、例えばこの日輪の遺産を読んで、先生は何を言いたいんだろう、何を伝えたいんだろうってことを僕の中で感じ取り脚色していきます。もちろん原作の通りはやれないんだけど、その僕が最初に感じた底辺にあるものだけは変えないように心がけています。今回もやっぱり僕が読み取った日輪の遺産を原作とは相当変えているところはあるんだけど、きっと浅田先生にみてもらって大丈夫な作品には完成させたつもりです。」
有地「ポスターにはずらっと20人の少女が並んでいますが、この子達というのは戦争を体験していない世代ですよね。そういった世代にその当時の思いを演じてもらうっていうのは大変だったと思うんですが、演技指導などはどのようにされたんですか?」
佐々部監督「あの、そういう意味では、僕も戦後の生まれなんで体験してないわけですよね。彼女たちも学校で習うことくらいの戦争は知ってるわけで、そうすると撮影に入る前に彼女たちに僕が頼んだこと、話したことは、この作品を作りながら、一緒に考え、勉強しようと伝えました。だから、演技指導でこうしろっていうよりも、彼女たちにこの当時のことを感じてもらいたいので、実際に終戦時に彼女達のように動員されて働いた今もう80歳くらいのおばあちゃま2人くらいに来てもらって、2時間くらい彼女たちに講演していただきました。それからひとり女性の助監督がいるもんですから、彼女にリーダーになってもらい、来てもらったおばあちゃんに教えてもらったこと、敬礼のやり方、それから、二列縦隊で歩く、映画の中にも手を挙げて「基準」って言って皆でサッと並ぶとかというふうにね。それから歌の訓練とかを撮影に入る一ヶ月前から彼女たちが学校の休みの日に集まってやったり、それから食事とかもね。撮影やってる間だけは、彼女たちがおにぎりを食べるシーンをいとおしく撮りたいので、甘いものは食べるのやめようとか…。テレビの現場もそうだろうけど、お菓子並べますよね。差し入れとか。それを撮影期間中は彼女たちは一切食べていないんです。それを見てて、この4人の堺(雅人)くん以下彼らもあの子供たちが食べないのに俺たちも食べれないよなって、言ってずっと食べずに…。僕は食べていましたけど(笑)。」
有地「甘いものお好きなんですね。」
佐々部監督「まあ、甘いのもお酒も好きです。ただ、彼女たちがあんまり悲しい涙の顔になっちゃうと、最初に「ひめゆりの塔」みたいな映画にはしたくないって思っていたので、悲劇の映画には。基本的に彼女達の笑顔を撮りたいっていう話だけはしていました。」
有地「今、彼女達の笑顔と言うお話がありましたが、本当に印象的だったのが、お風呂上りにキレイに身なりを整えて(敬礼をしますよね)、すごく笑顔で敬礼をするシーンがありますが、そこに込めた想いは?」
佐々部監督「本当はね。脚本に、お風呂上りにこうやって敬礼するシーンは脚本になかったんです。 前の日に、なんか彼女たちがこの3人の兵隊さんたちにありがとうございました。って言う感謝の気持ちを撮りたくて、どうしようかなって思って、思いつきで敬礼をしてもらったんだけど、本当は彼女達の笑顔の敬礼を撮りたくて撮ったわけではなくて、この敬礼された堺(雅人)くんと中村(獅童)くんと福士(誠治)くんの震える顔が撮りたかった。脚本には彼女たちがすっと歩いていくっていうのを見て、「終わりましたね。」っていう(シーン)だけだったんだけど、もうちょっと3人が震えたいので、どうしようかなって思って彼女たちにやらせてみたら、まあ上手くいって。本当はこの時代にこんな幼い子たちが兵隊さんに向って敬礼しちゃいけないんですよ。ありがとうございましたって礼はいいんだけど、敬礼は軍人同士の挨拶で本当のこの映画はおばあさんたちが見たときは、これは本当はいけないんだよって叱られたんですけど。これは映画の嘘で、これによって彼ら3人の感情が高ぶって震えたかなって思いますね。 」 |
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有地「今回は堺雅人さん、中村獅童さん、福士誠治さんとこれまでご一緒されたことのある方とまたご一緒されているということですが、彼らの演技の魅力っていうのはどういったところですか?」
佐々部監督「堺くんは初めてだったんですね。堺くんを軸に真柴っていう人を決めたので、本当は原作にある真柴、脚本にある真柴はもっと強い感じの人なんだけど、堺くんになったので、よりこう振り幅も大きい、オロオロする軍人も面白いなと思って、そういう堺くんを決めました。小泉はもうちょっと軍人顔の、本当は堺くんの方が小泉に合うかもしれない、大蔵省の軍人としては。でも、もうちょっと軍人っぽい昭和の顔は誰かなと思って、福士くんのデビュー作が僕の「チルソクの夏」っていう映画だったものですから、彼のその成長の度合いも見たいので、福士くんに声をかけました。さらに望月総長っていうのは本当に軍人みたいな人が希望でした。前の年に私が脚本・演出しました「黒部の太陽」という舞台で、中村くんとは2ヶ月間、稽古から本番で一緒になりましたが、その時相当やりあっちゃったんで、今度は僕の映画のフィールドで中村獅童に「ヨーイ。スタート!」かけたいなと思いました。彼は、じゃあ今度は監督の映画のフィールドで勝負したいって来てくれて。そんな感じかな。」
有地「じゃあ、3人は思い入れのある方だったんですね。映画のなかで魅力的だったシーン、演技に見せられたシーンはありましたか?」
佐々部監督「いっぱいあるんだけど。僕が悩んで苦労したシーンは、福士(誠治)くんと堺(雅人)くんがあの三角兵舎の入り口のドアの中で、ほんの狭い空間で日本の将来のことを憂いながら、子供たちも自分たちも生き続けなくちゃならないって長いシーンになるんですね。普通は長いシーンって表に出たり、少しでも動きをつけないとあの狭い中で動きもなくただ話しだけって演出するときは勇気がいるんですよね。どうやって撮ろうかなって思って結局動きようがないので、彼らにあなたたちの顔だけで勝負しますっていって、彼らもかれらも前の日からすごくテンション、モチベーションが撮り終わるまですごくて。シーンとした大きな仕掛け、その居合い切りがあるとか、鉄砲を撃つとかっていうシーンじゃないんだけど、結構大事なことをすっごく、特に堺(雅人)くんが気持ちが揺らぐシーンを動きがない中で撮るっていうの僕も勇気がいったし、あの2人も大変だったと思う。」
有地「監督は今回戦争映画3作目となりますよね。こうやって戦争映画を撮り続ける意味っていうのはなんでしょうか?」
佐々部監督「戦争映画というくくり、まあ、「出口のない海」があって「夕凪の街 桜の国」を素材にはしているんですが。これはもう戦争というよりは被爆の家族の話で、この映画も戦争は舞台になっているんだけども、恐らく3つともいわゆる激しいドンパチの人が何十にも何百人も死んでいく、建物が破壊されていくっていうシーンは僕はほとんど撮っていないんですよね。この映画もきっと戦争、もちろん反戦はきちんと感じてほしいんだけど、それよりも日本っていう確実に滅び行きそうな国を立て直す日本人のハートを取り上げた映画で、でも、僕はそれをやり続けているのはきっと、助監督の最後の作品が高倉健さんの「ホタル」って言う映画があったからなんですけど。物語は鹿児島の知覧の基地から南方に飛び立っていった特攻隊の人たちの映画で、降旗康男監督っていう僕のお師匠さんと高倉健さんと2001年にやりました。世紀をまたぐときにその作品をやって、2人(監督と高倉さん)から自分たちが体験した戦争をちゃんと伝えるために「ホタル」っていう映画を作ろうという志を強く感じたからです。僕はそこにチーフ助監督と言うメインスタッフで参加させていただいて、それが映画屋としては誇りだったんですね。でも、確実にあと10年20年すると、戦争を体験した人はいなくなるわけで、でも、風化させないで伝えていくには、僕は高倉健、降旗康男監督のDNAをもらった活動屋としては、僕は体験してないけど伝えていく作業はしていきたいと思っている。この映画のスタッフには有地さんくらいの年齢の子もいて、彼らが今度は10年後、20年後監督になって、また彼らの伝え方で、伝えていってほしいなと。僕の伝え方はドンパチで血まみれ死体まみれになる伝え方じゃなくて、こういう伝え方の映画だったら、オファーがあったら伝えたいなって思って続けています。」
有地「監督がこの映画に込めたメッセージとは?」
佐々部監督「「日輪の遺産」というタイトルのなかにはミステリーとしてのマッカーサーの財宝が遺産という単語になって隠されているんだけど、僕がこの原作を映画にして描きたかったのは、日本人が本当は持ってるはず、日本人じゃなくても世界の人、人間だったら持っているハート。誰かのためにとか。焼け野原になった東京も広島も長崎もたった10年で、復興したわけで、だから映画を撮影した時は震災は起こってなくて、リーマンショックで経済が破綻したときで、応援歌になる映画を作りたいと思ったんだよね。映画をみて今、被災地だけでなくて、日本って言う国自体が疲弊しているからもうちょっと頑張ろうとか、今自分が何のために生かされているんだろうとかをあんまり深く考える必要はないんだけど、ちょっとこうヒントに、ビタミン剤みたいになる映画かなって思って、それをこう映画を通して伝えられたら、嬉しいなと思っています。」 |
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