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2010年8月23日(月)放送(第397話)
『室井滋の なるほど!ザ・とやま 〜近代化遺産に見る富山の歴史〜』

今年は、現在の富山県庁が建設されてから75周年。昭和10年8月に竣工した県庁本館は、富山県の近代化のシンボルでもあります。
明治、大正、昭和初期にかけて、富山県では近代化の取り組みが進み、産業が発達し、まちの景観が大きく変わりました。その陰には、先人達の努力や、自然災害の克服、優れた人材の出会いなど、さまざまなドラマが有ったのです。
今回は、富山県出身の女優、室井滋さんが、語り手となり、さまざまな近代化遺産も巡りながら、先人達の功績と、今も続く取り組みを紹介します。
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■薬−近代化を支えた売薬の富と情報!
17世紀、反魂丹製造から始まった越中富山の売薬。クレジット販売の先駆けとも言われる商法「先用後利」や、顧客情報管理ツール「懸場帳」などで全国に活動の場を広げました。
一方で、北前船交易により、北海道の昆布を薩摩に運び、見返りに薬の原料を入手して新商品を開発します。こうして、わずか10万石の富山藩に、毎年200億円相当の「外貨」がもたらされ、近代化を進める資本として大きな原動力となりました。

■電力−地形の利を活かして電力立県へ!

売薬業が生み出した富が近代化産業の資本となった代表が電源開発事業。
薬種商の初代・金岡又左衛門と、売薬業の一族・密田孝吉は、苦労の末、富山市大久保に県内初の水力発電所を建設。明治32年に富山市に送電が開発されました。
その後、黒部川、常願寺川、神通川、庄川など、県内を流れる4つの河川で電源開発が進められて行きます。
黒部川の電源開発に挑戦したのは、高岡市生まれの科学者で実業家の高峰譲吉。秘境・黒部峡谷に軌道を敷設し、昭和2年に柳河原発電所が運転を開始しました。
庄川の電源開発に挑んだのは、氷見市出身の実業家で、京浜工業地帯の父と呼ばれる浅野総一郎。昭和5年に完成した小牧ダムは当時東洋一の規模を誇りました。
こうして、富山県は日本を代表する水力発電地帯として発展したのです。

■川−不屈の精神で挑んだ治水と砂防
ゆたかな電力をもたらす富山県の急流河川は、反面でたびたび水害をもたらし、人命や財産を奪ってきました。富山県の近代化の歴史は、治水・砂防の歴史でもありました。
下流で合流し、たびたび氾濫をくりかえしていた庄川と小矢部川は、明治33年から12年の歳月をかけて切り離され、独立した河川となりました。
また、神通川は現在の中心市街地を大きく蛇行して流れており、毎年のように氾濫を繰り返していました。そこで、流れを直線化する「馳越線」工事が、明治34年に始まり、現在のような流れとなったのです。

そして、現在も続く一大事業が、常願寺川上流の立山カルデラで行われている砂防事業。安政5年の大地震で立山カルデラには膨大な土砂が溜まり、雪解け水をせき止めた天然ダムが決壊して、富山平野に土石流災害をもたらしました。そのとき流れ出た土砂で川床が上がった常願寺川は、暴れ川となり、毎年のように洪水を繰り返しました。この被害を根本から食い止めるために始められたのが砂防事業です。当初、県が始めた砂防事業ですが、土石流で完成間近の砂防ダムが破壊され、大正14年、国直轄の砂防事業となりました。今日も続く立山砂防事業の最前線を、室井さんが訪ねます。

■都市計画−現在の町並みはこうして創られた!
現在の富山のまちなみの基礎となったのが、昭和3年に策定された富山市都市計画事業。
神通川の直線化工事の結果、富山市内には広大な廃川地が広がり、街の発展の障害となっていました。そこで、東岩瀬港から富山駅北をつなぐ運河をつくり、運河掘削で出た土砂で廃川地を埋め立て、区画整理した土地に新しい市街地や、工業地帯をつくったのです。
かつて富山城址にあった富山県庁は、昭和5年、火災により焼失。昭和10年に現在の場所に再建されました。
かつての神通川の名残として新たにつくられたのが松川です。その川沿いに建つ富山電気ビルデイングは昭和11年に完成した県内初の本格的ビルディングです。
国の重要文化財中島閘門を持つ富岩運河は、モータリゼーションの発達で物流の主役の座をトラックに譲り、一時は埋め立ても検討されましたが、まちなかの貴重な水辺空間として再生が図られ、環水公園は新しい顔として注目を集めています。
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